mixiの終着点とGCB

http://mixi.gstations.com/

実際、ここまで来てしまったらジ・エンドなんではないだろうか。
ネットは意外な所で、実は旧態依然とした姿勢がまかり通っていたりするわけで、その一部がハンドルネーム(以下、HN)。
あっちゃこっちゃの掲示板であっても、共通のHNを名乗ることによって『中の人』が同一であることを弱々しくも主張し、常連が集う掲示板のなかでは仰々しい本人確認などの手続きを取らなくてもその口調・発言内容から鑑みて本人確認の代用としてきた。
ネットが未だマイノリティだけのものであった時期にはそれでも充分であったし、むしろ積極的にそういった堅苦しい仕組みを排除していたような向きもあったと思う。
さはさりながら、という部分で侃々諤々されてきた『ネット顕名制』において、議論の的となってきたのが匿名掲示板の雄である「2ちゃんねる」であり、顕名制の雄として最近台頭してきた「mixi」であった、という風に理解している。
訴訟事で徐々に明らかになってきた「匿名でありながらも、個人を特定出来る」仕組みであった2ちゃんねる、そして「顕名制を標榜してはいるが、情報漏洩
やアカウント売買でその中身が曖昧になってきたmixi」という風に最近ではその両者の資質が変容しつつある。結局、ネット利用者は匿名・顕名のどちらも良しとせず、中庸かつ混沌であることを選択した、と言えるんじゃないだろうか。
通常のHNとは一線を画し、完全に個人を特定出来うる状況下において「敢えて名乗るHN」の信頼性、という1点のみについて支持されてきたmixiのその根幹が崩れ去った現状で、今のmixiを支持する層がどのような存在であるのか、実に興味がある。
実際、招待制・会員制というからくりで初心者のネットへの門戸を大きく開いた、という段階でmixiの最大の役目は終わっていたのではないか、とさえ最近では思うようになった。知り合いの知り合いのそのまた知り合い…で構成された密閉度の高い空間。あるいは無限のwww空間に仮想のパーテーションを作った疑似帯域。しかし羽目を外して羽目写真を公開すればきっちり実社会に影響を及ぼしました、というくだんの実例でmixiへの幻想は完全に瓦解したはずなんですよな。

人が少ないから安全、ってのもどうかとは
思うんですが、人が増えれば増えるほど「人種」「信教」「思想」などの現実社会を取り巻くパンドラの筺はずんずん持ち込まれるワケであり、安全だと思いこんでいるユルい人たちがその筺を片っ端から開けていけば、トラブルが発生するのは自明で。
逆に言えばそれらは「完全顕名制という、空想の安心感が起こさせたトラブル」と換言出来るんであって、先述の「S洋社員によるケツ毛バーガー事件」を引くまでもない。まぁそのネーミングの、事件を氷山の一角しか知らない身でも何が晒されたのかを推し量れる秀逸さよ。ステキ過ぎますな。

もとい、転じてこれをGCB界隈にあてはめてみる。

店内対戦しか実装されていなかったver2.01以前では、blogを介してのみしかその振る舞いを知り得なかったものが、新仕様においては否応なく全国の諸氏とマッチングされてしまう。匿名から顕名への強制移行というのか、ローカルからwwwへの強制アップロードというのか。何にせよ、blogにて戦略・戦術の重要性を真摯に説いていた方々は、その姿勢を身をもって示す機会に恵まれるワケで、これはもっけの幸
いと言うべき。
逆に、メインのIC差して「ネタ編成だから負けましたぁ♪ゲロゲーロ」という言い訳はあんまり胸を張って言えるモンではなくなってきそう。だって対戦する相手は一期一会で、その他のガチ編成での実力なんて知ったこっちゃないんだし、blogで名乗っているIC名に勝利した事実、ってのは厳然として在るんだし。有名人はサブICを持って、おふざけやらテストはそっちでやっちゃってよ、っていう考えが台頭してきそう。
加えては、非情に徹して母艦までキッチリ落とす人について「手も足も出ない実力差で、さらに母艦まで狩られた!!」と言い出す人も恐らくは出てくるんでしょうし、いわゆる「勝ち方論」についても議論を呼びそう。
陰で悪口を言われたくなければ完勝するなんてもってのほか。
気前よく1機は落とさせてやっても「大したことねーな」と軽んじられる。

所詮、勝負事とネットワークコミュニケーションは相性が良くないのですよ。それを知るべき時がGCBにも訪れた、という事なんでしょうな。
寒い時代だとは思わんかね。

今宵は此処
まで。