http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20061019-105580.html

新日本の常連外国人だったスコット・ノートン(45)が 新団体WWCW(ワイルド・ウエスト・チャンピオンシップ・レスリング)を設立する。

スコット・ノートン(45)が

時の流れは早いもので、そりゃワシの腹も出るわという話。
同時期に活躍していたどの外国人レスラーよりも、技の説得力は図抜けてありました。説得力云々よりもあの腕が首筋に衝突したら死ぬだろ、普通は。というレベル。
蝶野が最も輝いていたnWo最盛期に活躍していた記憶が。nWoスティングとよく組んでたっけか。
思い出しついでにダラダラ書くと、初めてプロレス観戦に出掛けたのがこの時期。恥ずかしながらも『総合格闘技で通用するレスラーはガチで永田』と思っていた。そんな時期がワシにもありました…。
この頃は武藤・蝶野が動けていた最後の時期で、武藤のフラッシングエルボーからレッグブリーカー、はたまた雪崩式ドラスク、蝶野のSTFが出るだけで場内が沸くという、今では信じられない光景なんでしょう。
中西はアホのひとつ覚えでアルゼンチンやっときゃいーだろ、つーか後ろ気にしろよ馬鹿。
天山がモンゴリアンチョップ出すときに場内からの「しゅーっ」という掛け声が気になって試合に集中出来ないとクレーム。
カシンは空気読みすぎてコソボ連呼+エル・サムラ
イとパチンコ。そうとしか言えない。
サムライはサムライでスイング式DDTから足四の字に移行するのがいつまで経っても不慣れ。安田はやっぱり赤クジラ。
ライガーは麻原ばりに頭上で腕をブン回し、小島はキャラを崩してまでのnWo入りで初コメントが
『どいつもこいつも馬鹿ばっかりだぜぇ! n・W・o・my life!(←顔文字ではない)』
であった。これを見て「あちゃー、小島、やっちゃったね…」と思っていたのはワシだけではないハズ。それが今や4冠王者まで登りつめたトップレスラーなんですから、わからんもんですな。
と、何だかんだ言いながらも自分的にこの時期が一番面白かった。
藤田が総合格闘技で大成功を収めた頃からちょっとおかしくなり、成瀬のクレイジーサイクロンを「ちょwwwwwそれ裏拳www」と思い始めた辺りで完全に熱が覚めましたな。
今ではCSでドラゲーの試合をちょっくら観るばかりになりました。
なんとなく、ガチヤオと言い出してからプロレスはグッとつまんなくなった気がする。

今宵は此処まで。