ネットとリアル 手紙とメール


先般、かつて同じ部署で働いていた先輩にメールで呼び出された。理由は聞くな、まぁとにかく出てきてくれ、的な内容であったので、すわ宗教の勧誘かネズミ講かと思ったけども無下に断るのも何なので、取り敢えずファミレスでのお茶代は先方持ちってことで財布を持たずに出かけた次第。丁重にお断りするのが下手クソだったりするワシでした。
身構えて行ったものの実は何でもなかった、というのはよくある話で今回の所は、痴話喧嘩がもつれにもつれて親戚まで巻き込んで揉めているとの事だった。
だったら尚のことワシに何をせよというのかと。だいいち異性間でのトラブルの処理、ってのはワシとしても一番苦手とする部分でありまして、身から出た錆ですら自然消滅に任せて今までろくに丸めた記憶が無い。
いや、先輩のたっての頼みとはいえ、自分にはそういうスキルが備わってないので力にはなれないですよ、とくどいぐらいに前置きして席についた。
で、手渡されたのが先輩の嫁、先輩の実姉間で交わされたメールをプリントアウトした紙束と、郵送されてきた書簡の束。つーか何で束になってしまう程に遣り取りしてんだよ。
何とか半時間ほど掛けてそれらの書類に目を通した。既に灰皿には吸い殻てんこ盛り、それにも増しての手遅れ感てんこ盛り。

かいつまんでしまうと実にシンプル。

嫁と先輩の間に浮気疑惑が浮上
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先輩、唐突に便所に駆け込み携帯のデータ削除(つまりは疚しかった)
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嫁激怒、先輩の実姉に相談
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相談の最中に実姉の発した「あなたが携帯を盗み見た」のフレーズにエキサイト
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嫁=姉間バトルにステージ移行
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実姉ブチギレ、積もった感情炸裂して親族縁者に『絶縁ポツダム宣言』発布
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嫁完敗、旦那狼狽
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実姉『遣り取りの最中、短絡的に「解りました」と答えた事が気に入らない。何が解ったのか箇条書きで示せ(10点)』
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旦那狼狽⇒困憊
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嫁発狂「こんなに虐められるなら、いっそわたしを殺しqあwせdrftgyふじk」
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ワシの「死ぬ前に一発やらs(ry」発言に先輩静かにマジキレ(←いまここ



という具合。全然かいつまんでませんな。失敬。
兎も角。言いたい事は山ほどあれど、面を付き合わせてやりあやぁいいのに下手にメールとか使うからこじれまくった、という話。箴言的に――と抽出すれば色んな教訓が出てくるんだろうけども、思う事は「何でこんなにこじれまくるのか」という部分。
web2.0がアレだとか何だとか言ってはおるものの、つまるところ人は『活字信仰』から脱却できていない。ここに大きな要因があるんではないかと。
活字になっているものが全て正しいわけでは決してない。
『ピンクレディは実は60歳を越えている』
こう書くと、ここだけ読んだ場合には信じてしまう人もいるかもしれない。活字になっている=それがソースであり事実である、と何となく思ってしまってるんではなかろうか。実は活字こそ無根拠であって、幾らweb上に書いてあろうが新聞に載っていようが、真実を確かめられるのは己の鼻の上に付いてる一組の目ん玉、それだけである。
そういう意味においては『アテクシが借りたwebスペースなんだから、何書いてもいいでしょっ!プンスコ!!』というのは、特定の情報を必要としている人が検索サイトを利用した場合におけるノイズにしかなり得ない。至極迷惑な話ではある。いや、別にき○この日記をあげつらうワケではないのだけども。
もとい。
活字化された情報―というのは無根拠に『事実に忠実であり、精査された情報である』と思いがちな状況下で、トラブルを活字だけの応酬で解決しようという試みはそれこそ『ダヴィンチコード』を自分一人で解読しようという位に困難な作業であったりする。いわんや、web上で拗れた話を活字の応酬だけで解決しようとするいわゆる『ネットバトル』がどれだけ不毛であるかは、これでご理解頂けると思う。やっぱりそれは誤認識の上に誤認識を重ねてしまう結果しか生まないのは、実に当たり前の事であったりする。

しかし。web上に何がしかの根城を構えている人にとっては、web上での諍い事は避けたくても避けられない場合がある。じゃぁどーすれば良いのか。

先の引用事例に立ち返ってみる。

このときワシが先輩と遣り取りしたのは『申し訳ないが、先輩はこの文章をあと10回読んでくれ。自分は自分なりにこの件の落とし所が見えたつもりだし、この手紙も隅まで目を通した。しかし当事者である先輩が事態を完全に把握してもらっていないと、ワシが幾ら先読みしたところで絶対に上手く行かない。当事者同士でしか解らない機微みたいなもんは絶対あるはずで、そういうのは中身を良く読まないと気づかない。だから、それを細大漏らさず把握してもらうには何遍でも読んでもらうしかない』という内容。
先輩はブツクサ言いながらも、コーヒーのおかわりを頼んで手紙を読み返していた。読んでる間に、ワシなりに考えたフィニッシュまでの筋書きと振る舞い方、その他諸々をA3用紙余すところ無く書きなぐった。その日はそこでお開き。
数日掛けて先輩は返事を書き投函。その後、かなり態度を軟化させたように見受けられる返事が届いたそうな。そこで『この手紙の返事も書け』とメールしてきたのですげなく『すざけるな』とだけ返信してその後一切無視した。

これは解決の道筋の中で最もオーソドックスなものなんだろうけども、とにもかくにも『相手の言わんとしているのは何か』をくどいぐらいに読み解く事で、今回の一件は収束に向かう事ができた。
結局はそこなんだろうなぁ、という風に今回強く感じた。解った気になってしまう。これがいけない。
しかしことweb上において問題解決に利用されるツールは未だもって『活字』以外にはあり得ない。そして活字は、その体裁が整っているように見えるためにしばしば誤解を生む。考えて、練って書いていなくても読み手にはそう思えないからだ。だから真に受ける。そして過敏に反応する。実に泥沼ループに近い立ち位置である。
だからこそ、webに乗っける文章には殊更の注意を払わなければならない、と実につまらん結論に辿り着いた次第。先般ようやく事態が収拾したっぽいので、公開してみた。

後記。最近は親戚縁者のネチネチした諍いすらweb上で行われてる事に驚愕した。webリソースは何となく無限です、とはいうもののメールサーバーは手前ぇらの愚痴を吸い込む所じゃありませんよ、という。ネットは便利だが何を目的にして用いてもその利便性が損なわれない、という事は無いんだし。小遣い帳付けるのにわざわざ「はてなグラフ」つかわんでも良かろうに、とかそんな感じで。