諜報機関を持たない国家

http://www.sv15.com/diary/matunaga.htm

テロリズムを標榜した団体の元・構成員が、ノーチェックで、というよりもむしろ乞われて国家元首の喉元まで到達出来るとはねぇ。
お気楽でよい国ですな、我らが小泉JAPANは。

少し厳しい見方をすれば、マインドコントロールが既に解けているという保証はどこにも無いワケでしてね。
そういう人物の来歴が、ひた隠しに出来てしまうからweb上ってのは何でも言い放題だったり、普通では聞けない話がザクザク出てきたりもす
る。ありががってみたり、匿名性に対して改めて腰が引けてみたりするワケですがどうなんだろう。

先日触れた話題にも絡めて、今回の事案を【極めて悪意的に】咀嚼してみると『書いた当人の人柄やら、過去のエントリに依って真贋を判断する』といっても、当のご本人に隠された来歴があって実は信ずるに能わざる人物であった、という事が明るみに出てしまった。はてさて、過去に『idを保険として信用・または信頼した内容は遡及して【真偽不明フォルダ】にブチ込まれるのか』と言えばそうじゃないだろう。
元より自分の知識の、ソースを克明に記憶してる人なんざそうそうは居ないんでしょうし、尚かつソース別に脳みその中でフォルダ分け出来てるようなデスクトップに手足が生えてるような人など、どれだけいる事か。つーかいねーだろ、そんなの。


そうなると先述の『idを保険にしてエントリを信頼する』というやり方は、読まずに評価してるのとニアイコール。誰が書いたか、ではなくてやっぱり何を書いたか、に比重を置かないと『ゲーム脳』ならぬ『インターネット脳』とも揶揄されかねない『webに流れる情報は、リアルで流れている情報よりも比較的、信頼度が高い』としてしまいがちな思考パターンにはまってしまう。それじゃ宝の持ち腐れだろ。

『知識のあるべき姿』というのは、その時点で自分がある対象についてどのような見解を有しているか、の途中経過なんであると思う。だから新しい情報が入ればデータベースを更新すればよい。知識を上書き保存する。
ところがどっこい『idを保険にしてエントリを信頼する』という手法を用いて取得した情報は、新しい情報であるのか古い情報であるのかよく解らない。ファイル保存日は比較的最近であるものの、中に何が入ってるか解らないまま保存してるから、本当のデータ作成日がいつなのか、いまいちハッキリしない。その時に『知識のダウンロード元』のみによって選別して更新・破棄をしているのと同じ状況なんですよな。そういうのは。

ただし。

文系脳なワシには理系チックな数字の羅列やらがサッパリ苦手でして。
そう言う場合、ワシは『そういうモノもあるんだな』程度に留めておくようにしてます。調べて勉強すりゃ幾らかは身になるんだろうけど、そこまでの時間と熱意とツールが明らかに不足しているんですな。なので理解度をあえて40%程度にしておく。当然、その知識を引っ張り出す時にも40%である事を念頭に置いて、必要に応じて追加・補足事項を調べる。
それでも先述したように『全ての未完知識に【未完情報タグ】をくっつけられる人間なんていない』ワケで。それでも『ダウンロード元で知識をソート』するやり方よりは幾分マシかと思う。どうだろうか。


因みに、標記『絵文録ことのは』の執筆者・松永氏に対して実際に悪意を抱いている事は毛頭無く、むしろ毎日ROMってました、という事を追記させて頂く。

今宵は此処まで。