ウェブサイトを免許制に

ネタ記事らしいんですが、面白かったので拾ってみる。
で、何で拾ったのかというと三国志界隈でのサイトの多さに辟易してるので。
兎に角、最近ではサイト一つ立ち上げるには鉛筆、消しゴム、物差し、接着剤要らず。メールアドレス一つあれば、後は既製のデザインを選択するだけ。こりゃ楽だわ。

で、何事にも作用と反作用の法則は働くワケでして、簡単に作れるから思い入れが無い。皆目無い。
自分のサイトが荒らされたら、少なからず思い入れがあるなら必死に守るし、また荒れないように努力もしようモンですが『次また作ればいいや』とノホホン。サイト訪問者にも『いずれ誘導すればいいや』でノホホン。微笑ましいですな!

別にhtmlやらcssやらを使って打ち込んだから愛着が湧くとか言う気も無いんですがね。ただ誰にでもお手軽に『チラシの裏側 全国版』を与えてやるのもどうか、と思うんですよ。何が迷惑っちゅうと、検索掛けて調べ事する時に『ノイズ』が多い。退職した野球選手のその後を追うのに、何が悲しゅうて『萌え』×23個も書いてあるサイトを見にゃならんのか。結局そのサイトで野球選手のその後について触れられてるのは記事紹介だけだったりして、非常にイラつく。イラつくと鼻息が荒くなり、必然的に鼻クソが溜まりやすくなる。そうすると『ほじりたい、ほじれない』のジレンマに陥り更にイラつきにターボがかかる。うがー。


大きな括りで言えば、そういう『管理人ごっこ』にしか見受けられないサイト群の存在が、ネットのダークサイドを演出してるような気がしてならない。
仮に、標題の『ウェブサイト免許制』が実際に施行されたとしたらどうか。
免許交付には『何を訴えたいか』『どのようなオピニオンを世に問いたいのか』という部分が少なからず取り沙汰されるでしょう。すると三国志界隈にはびこる『掲示板だけのサイト』『余所からパクって来た情報ピロンと貼り付けてオシマイ』なサイトは姿を消さざるを得ない。
だって他に山ほどあるサイト群が果たす役割に、9割方被るんだもん。同じような情報を貼り付けてるトコは他に幾らだってあるワケだし、そもそも腰の入ってない奴は更新すらしない。システムにメンテが入っても放置プレーがお得意な面々が情報を修正もせずに晒しっぱなし。そんなモンをウェブリソースの狭間にプカプカ浮かべとく意義が果たしてあるのか。あるわきゃない。
つか成田君みたいな誤字脱字の達人は、申請書すらも通るまい。わっはっは。



閑話休題
我々、キャリアだけひたすら長い人間が出来る事。それはひたすらにログを残す事に他ならない。
逆に言えば、ログを残す事のみが掲示板を持つ最大の理由であるべきだと思う。免許とまでは言わないが、何某かのハードルを設ける事をしないと、ちょっと荒らされただけで簡単に閉鎖してしまうような輩の一存で大切なログが闇へと葬り去られる、それ事が悔しくてならない。

議論をする。色々なオピニオンを当事者間でぶつけ合う。それはいい。
しかしその遣り取りが万人に閲覧可能な状態で無い限り、それは当事者間のオナニーでしかない。ティッシュの要らないオナニー。地球に優しいが、決して人には優しくない。

この際はっきり言うが、メールのみでの当事者間の紛争解決はそのオナニーの最たるものである。
何度でも言う。メールで解決しても、それが後世に残らなければ同じ過ちを繰り返す人が増えるだけである。どんなすばらしい結論をみても、それは形に残されなくてはならない。逆を言えば、どんな下らない結論であっても、それは『下らない結論をみた』という大切な資料である。下らないから残さない、普遍性のある結論で無いから残さないというのは、ある意味当事者間のエゴであるとも言える。




…というのを書きためておいたんですが、折しも祥龍サンが掲示板で述べてらっ
しゃった事と一部リンクするので多少加筆してupしてみました。



今宵は此処まで。