だらだらと。

多分、連休明けには十分な文章を上げる余裕が無いだろうから予定稿として上げて置こうと思う。携帯三国志の『自治』に付いての話。

先ず一つには、時空内の雰囲気を守り立てる為の案。
昔にどこかで、ケータイゴクシにはプロレス的な要素が必要、みたいな事を書いた(ココだったか?)。つまり、対立し続ける二大勢力みたいなモンがあっても良いんではないかと思う。
その昔、=たまっちvsひで蔵=という対立構造があった。両者は必ずしも『反目』しあうでは無い一方で、ゲーム内では一度として手を組む事は無かったと記憶している。

なぜ組まなかったか?

それはお互いがそれぞれの実力を認め、かつ『越えたい』という強い意志の表れに他ならない。その2大巨頭の傘下勢力として、今に名を残す『蒼輝』『虚梁』『姫伯孫策』『赤い彗星』らの古豪が台頭した、と認識している。

これは『ツルまない事への信頼』『コイツに付いていけば面白いモノが見られる』という期待に基づくものであり、かつ彼らはその期待に違わないモノを高品質で提供し続けてきた。しかし、戦争に勝利するに当たっては『軍団内部での意思統一』が不可欠であるこのゲームで『ツルまない面子に従う人間達がツルむ』ことへの矛盾を常に内包していた。これを、我田引水に活用した馬鹿者たち(ワシは姜徳を始めとする、歴史を持たずにツルんだ連中にその業が深いと認識している。あくまで個人的な認識、として付記させて頂く)が無為無策に集合する事により、その微妙なバランスは簡単に瓦解してしまった。

しかし、その古き時代の再建を望む声が大きくなって来た昨今である。
ならば、過去に成功した事例を引くことがその近道では無いのだろうか。





プロレスの新日本、蝶野正洋率いる反体制と新日本本隊の対立。それはその構成員の離合集散を経ながらも連綿と綴られて行く。同じくして、対立を以って是とする2勢力、或いは3勢力でも構わない。それらがタイの伝統芸能・バロンダンス宜しく、延々と絡み合い、戦いそして互いに勝ち、時には敗れる。世界を構成する根幹としてある一定の水準を有した勢力が常に台頭し、そのノウハウ・生き様を開陳する事によって『ツルまない事の面白さ』『楽しみ方の多様性』を今一度世に問うべきでは無かろうか。



ただしその意識の敷衍は可及的速やかな効果を約束する物ではない。3シナリオで定着するかも知れないが1年以上かかるかも知れない。しかし、背骨が何かしら無ければその肉付けなんぞ遥か先の話なんではないか。物分りの良い連中が『在るべき姿』を話し合って同意を得あったとしても、それは所詮仲間内のオナニーに似た所業でしか無いワケである。


今ひとつには、棲み分けという大きな括りの考え方である。

かつて、ワシの界隈で様々な人物との衝突があった過去を否定したりはしない。その出来事があってのワシであるのだから。古くは『Kay』『蝶華』であったり、『ぱゆ』『幻女』『幻魔君』であったり。
しかし、その衝突によって何が変わったかと明確に言えるモノは、何一つとして無い。思想、ベクトルが根本から異なる二者がWeb上で共通の見解にいたる事は先ず以って不可能に近い。これは、ワシ以外でも過去連綿と続いているWeb上での論争を紐解けば自明である。大抵は一方が折れる形で沈静化、というパターン。



これは、現在も水面下で行われているかも知れない『HP軍議派』と『シス内掲示板重視派』の対立についても同様に考える。どこまで突っ込んでも、それは茫洋たる過去ログの引用を繰り返すのみに留まってはいないだろうか。数年前から懸案されていた事項ではあるが未だにその結論を見ない、という現状を踏まえればそう言わざるを得ない。ならば、互いに袂を分かつべきでは無いのか。これ以上の論争はwebリソースの徒な損耗でしかあり得ない。




では如何にして両者を棲み分けさせるのか。これには、時空の意識的統合というプランを持って現時点の答えとしたい。
二つの時空ではあるが、かたや【交流重視派】かたや【シス内重視派】が集う時空として位置付けし、両者それぞれが自分のフィールドでそれぞれの持ちうる見解を昇華させていく。横槍の入らない環境で、純粋かつ高密度に自らの考えを練り上げる。その意識で以って時空を転がしていくのである。

これには、現時点で比較的人材の交換が進んでいる赤鴉・蒼天という二時空間での話し合いによって、実現可能ではないかと言う目算を持っている。ただし、それぞれの時空には当然これまで存続してきた歴史と、愛着を持って住み続けている武将も居るだろうから簡単に話が進むとは考えられない。ただし、いつまでもループな会話を続けるのであれば、こういった時空単位でモノを考えるマクロ的な視野での方策も考えに含めるべきでは無いかと思う。



(2004/10/129:00追記)

昨今のプロ野球を取り巻く状況に照らして考えてみる。グロスとして見れば、非常に似通った状況ではないかと思う次第。つまり、この期に及んでの【縮小再生産】は“無い話”なんであるな。今更縮小して少数精鋭からやり直そうったって、人はそうそう集まらない。ことVODAFONEに関してはキャリア自体がジリ貧であって、量の確保と質の維持てのは二律背反ながらも並行しないといけない矛盾を孕む。

まぁやり出しゃあ面白いんだろうけど、一口に言って生半可な作業では無いんだと思う。



以上、意見乞う。