馬鹿が教えると馬鹿になる。

嫁貰って部屋借りて所帯持って…といっぱしな生活を送ってると、考えなくても良いような事に思いを致したりするワケなんですがね。ワシは自分の存在っちゅうのがとことん嫌いなタチなんですよ。そんなだから、二世をこの世に送り出そうって気持ちが他の皆さんに比べて希薄なんです。近親憎悪というか、自分に似た存在を身の回りに置きたいとは思わない。幾分か嫁の遺伝子が混じってると思えばそうでも無いんでしょうが、自分の遺伝子もやっぱりある程度は混じってるのかと思うと暗澹たる気持ちになってしまいそうでね。
しかし、そういう個人的な心情とは別次元で、自分の分身をこんな環境の中に置きたくないと思わせるニュースもあり。

【「天動説」の小学生4割=月の満ち欠けと月食も混同−国立天文台調査】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040920-00000145-jij-soci

【指導要領に問題ないと反論 天文知識崩壊で文科省

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040922-00000230-kyodo-soci

【<小6同級生殺害>学校の対応うわべだけ 保護者に違和感】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040922-00000061-mai-soci

んまぁ、教育の迷走だとかご大層な名目付けて偉い人たちが侃々諤々やってるんでしょうがね。学校教育で出来る範囲と、どうやったってその手から漏れる事を割り切るべきじゃ無いかと思う次第。所詮、学校教育で身に付くモノの大半は社会に出たって役に立つシロモノじゃぁありませんわな。すぐに役立つ知識を得たいならば中学出てから高専でも専門学校でもいきゃぁいいワケで。虚数の存在なんか、ワシは高校を卒業してこの方、思いを致した事すら無いですな。

そもそも天動説と地動説、両方を踏まえて考えると常に観測者の立場が問題になってどちらが正しいかは『キッチリと説明の付かない』状況なんじゃ無かったかと思う。その状況はそれとして仕組みを『教え』てそれを『理解』する脳内の手順構築が小中学校で為されるべき教育の最たる目的なんじゃ無いのかね、と思う次第。詰め込み教育上等。勿論、後からそれをゆっくり解きほぐして考える時間とセットでね。


考える、という脳の働きは非常に面白いモンだと思うんですよね。畢竟脳内の電気的な動きでしか無いんでしょうけども。手持ちの材料と環境。これだけで人は無限の思索に耽る事が出来る。偶然に全く別の真理にぶち当たったり、突如として解決出来そうにない壁の存在に気づいたり。その課程での無駄、無理、ムラは大いに結構。寧ろ無駄があるからこそ思索は面白い。若しくは思索自体が無駄な精神活動と言えるかも知れず。んでも人は太古より考え続ける事を諦めなかったし、今も尚考え続けてくんですよ。

その基礎課程が、斯くも脆く崩れ去ったりするのは何なのよ、と。

>御手洗康文部科学事務次官は22日の定例会見で「地球の自転や公転についての学習は中学校で、きちんと体系的にすることになっている」と述べ、学習指導要領に問題があるとの見方に反論した。
>御手洗氏は「自転や公転を体系的に理解するのと、単なる知識として地動説を知っているのとは別」と強調。「中学校で観察を行い、天体の動きを理解させている。指導要領の全体構造を見てほしい」と語った。
>さらに御手洗氏は「ただ、知識の問題ならば、日常生活の常識としてどこで教えていくか。家庭や大人との会話などで教えていくという問題を、もっと考えることが必要とは思う」と述べた。

現場と家庭に責任のなすりつけかよ。一部正論が含まれているにせよ、この場でそれを言っちゃぁケツ捲ってると取られて然るべきだろうが。やる事やれって。

国立天文台の縣秀彦助教授は(中略)「理科の授業で、地球が丸いことや自転、公転していることさえ扱わないのが原因」として、学習指導要領を改善するよう訴える。

ゲラゲラゲラ!VIVA!!ゆとり教育!!!!
そのまんま、子供から『学ぶ権利』まで削減していって、優秀なプラント育成に心血そそいで下さいよ。ウチは1億やらの金を馬鹿養成機関の一部に放り込むのはまっぴらゴメンだ。学ぶ意欲の湧く現場を作ってみやがれ税金泥棒。