思うこと

佐世保事件に関して、その問題の根底に広がるものは相当に深くて暗い、という思いを持っていることは以前に述べた。その事についていつもモヤモヤした思いが取れないでいるので書きながら纏めてみたいと思う。なので少々バラツキのある文章になるかも知れませんがそこはご容赦を。


先ずはNETと実社会の関係に対する、今後の在り方について。12歳という時期は、就学率の高い昨今ではほぼ「義務教育」のまっただ中と言って差し支えあるまい。そこの部分において、社会情勢が急激に変遷を遂げた中で唯一、聖域に近い形で遺されていたその「義務教育」の中身にもメスが入り『ゆとり教育』なるものが導入された。円周率を『およそ3』と簡略化する事で、被教育者に対する無理な詰め込み教育を控えて授業時間を短縮し、学校では教えられないモノを課外で学び取ってもらおうという試みのアレである。今更こんな括り方をするのもどうかと思うが。

で、やはりその余暇に対して児童らはNetの恩恵に浴する時間・機会が圧倒的に増えた。暇が出来たから、泳ぎ方もわからんウチに海に遊びに行って溺れる事故が相次ぐ。暇が出来たから、Netやっててトラブルに巻き込まれる事例が増える。これらはある意味同義語ですわな。暇を与えてるのは教育側なワケだし。ならば教育側としては『正しい余暇の過ごし方』までを教え込んでこその『ゆとり教育』なんじゃなかろうか。喩えの話と繋げるならば、泳ぎ方については水泳の授業があるワケで。ならばそれこそnetサーフィン(←コレって死語なんですかね汗)のやり方を教えてもよかろう、と思います。つーかきょうび海へ行くよりもnetに繋ぐ機会の方が多いだろ。

ところが世の中の流れはどうもコレとは逆みたいで、危険の潜む海に対してやれ浅瀬を増やそうだの、高波を抑えようだのという議論になりがちです。そりゃ違うだろ、と。漁師のオジサンの生活はどーなんのよ、サーファーの楽しみはどーなんのよ。んまぁこの喩えにある漁師ってのはnetに置き換えると架空請求業者に当て嵌まるワケで、それはそれでガンガン絞って頂いても結構なんですが(笑)。

海は危険である。いろんな生き物がそこで暮らしているよ、というコンセンサスを持ち得ないまま、逆に寧ろ海は安全ですよというプロパガンダにもたれ掛かって事故に遭っているケースが多いように感じます、ワシ。泳げないなら、無理に海水に浸からずにROMってろ。泳ぎたいなら、泳ぎ方を学べ。泳ぐのならば、溺れようがクラゲに刺されようが文句言うな。

そう思いました。

あとは長くなるので次回にも。