雑感を少々

グダグダな脳みそでupした文章は、やはり中身もグダグダであった。昨日自分のupした内容に対する率直な感想である。まぁ土曜に酒喰らって、超地元ネタ『八戸ノ里自動車教習所の教官のマネ』とか『郡山高校の野球部・森本監督のマネ』とかで深夜まで盛り上がってグダグダ。翌日は実家に顔出して、死んだ爺さんの墓参りしようと思っていた所が眠りこけてしまいグダグダ。爺さんスマン。まぁそんな頭で上げた文章なんぞ人様の目に触れるところに置いちゃイカンという自分への戒めに、ログはそのまま消さずにおく。恥を知れ、ワシ。


親父方の爺さんが死んだのは、ワシが大学入試の頃なのではや10年近くになる。

その間、想いは致すものの墓参りなどとはおこがましい気がして、一度も顔を出す事が無かった。まぁこの爺さんがなかなかの山師でプレイボーイだったそうだ。甲子園の近くで鉄売って大儲けしたとか、元・宝塚歌劇団の女優をどこからか拾ってきては取っ替えひっかえしてたとか。その辺の話は、親戚一同から伝え聞いたものだけでも大変な量である。一冊自叙伝でも書きゃぁ売れたんじゃなかろうか、と思うほどである。が、まぁそういう伝聞の類は大抵、尾鰭が付いてトンデモナイまでに大きくなってる事を差し引いても、まぁまぁ波瀾万丈な生き方であった事は想像に難くない。出来得れば、ワシが所帯を持てるようになった今の状態で、ゆっくりと酒を酌み交わしてみたかった−という思いはある。んで、一度顔を出しておきたかったワケだが結局は行けずじまいで少々悔いが残った。仕方ないので、今年の盆には参ってみようと思う。

で、ひょんな用向きがあってその爺さんの掛かり付けの病院に行く事があった。そこには古株の看護婦さんがいらっしゃっしゃいまして、曰くワシは爺さんソックリの顔立ちだそうだ。まぁそんなに急ぐ用向きでは無かったし、病院も午後の繁忙期を過ぎてさほど忙しそうでは無かったので暫く立ち話をしていた。やっぱり、掛かり付けの患者は覚えてるモノなんだなぁ…と思っていたら何の事は無い、爺さんに口説かれた事があるそうだ。なにやってんだ、って(笑)。口説きの手口は今でこそ月並みではあるが、病気でも無いのに足繁く通ったり、誕生日にはバラの花束を持ってきた事もあったそうだ。なかなかハイカラではないか、やるな爺さん。

てか、こういうマメな所はワシに受け継がれていないみたいだ。ま、その手口で落ちたかそうでないかは流石に恐ろしくて聞けなかった。三十年来顔を合わせる事の無かった異母兄弟が感動のご対面!ってなっても困るし。島田紳介がハンケチで目頭押さえて『見つかりましたよ』って出てきそうな勢いである。


んでもその看護婦さんはご高齢の割には(失礼)肌にツヤがありコロコロとよく笑い、身長低めのポッチャリ型。若い頃の面影がそこはかとなく伺えるそれは、結構\ワシの嫁に似ている部分が多い。

うーん。ますます呑んでみたかったなぁ。