某巨大掲示板Ssiteにデビューさせられちゃったよ。

【メキシコのUFO、正体が判明? 】

幽霊の 正体見たり 枯れ尾花

とは良く言ったモンですが、蓋を開けてみれば「なぁんだ」というものなんでしょう。しかし、昔にちょいとお話しした「名前を付けると、そのモノが包含する本質が見えにくくなる」って話と多少リンクするんですがね、一段落した積もりになってしまうんですよ。あくまでも途中経過でありながら。
ん〜と、何の本で読んだか定かではないんですが確か中島らもの「ガダラの豚」だったかなぁ…。ん、「永遠も半ばを過ぎて」だったか。まあいいや。

『超常現象は、遍く奇術で再現する事が出来る。但し、それ以上でもそれ以下でもない』
って下りを思い出しました。確かに、その光体の動きは球電現象のそれと非常に似通っているのかも知れません。いやいや、専門の学者がオフィシャルにそのように述べるんだから酷似してるんでしょう。但し、見知らぬ何かである可能性も同時に0では無いワケです。

人間は往々にして自分の価値基準をすべからく恃み、他の情報に対して盲目的になってしまう状況がしばしば発生します。(何だか中学生の英文訳みたいな文章で申し訳ない)

【判断】


(名)ス

  1. 物事を理解して、考えを決めること。論理・基準などに従って、判定を下すこと。「―を下す」「―をあおぐ」「善悪を―する」「―がつかない」
  1. 吉凶をうらなうこと。「姓名―」
  1. 〔論〕〔英 judgement; (ドイツ) Urteil〕

ある対象について何事かを断定する人間の思惟作用。命題を内容とする思考の働き。また、命題自体。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

この『判断』の根幹を為すのは専ら自分が今まで得た知識であります。ただ、それだけでは不足でその状況・経験則からの未来値予測、イレギュラー時の思考フォローなどが必要になります。余話ですがコレが完璧に出来る人なんてそうは居ないんですが、7割くらい出来る人がワシなりの『頭のいい人』の理想像です。

んで。例え途中経過であっても、そういった情報は受け手によっては『確定事実』として処理されてしまい「あぁ。UFOね。あれってプラズマなんだってさ」としたり顔で解説してしまう輩も出てしまうんですな。オマエは大槻教授かよ。

しかし、生まれつき状況判断能力に著しく欠けてる人は残念ながら多い。そういう人に限って自分の経験・自分の感覚を等しく恃み、顧みない。

寧ろ、これは悪です。つまらん自惚れと過剰なナルシズム。他者の思考を排斥する振る舞いetc…。顧みなくてよいのは聖帝サウザー様くらいで、サウザー様はむしろ引かなくて媚びないくらいが丁度いいくらいですが普通の人間は、人からの指摘に対しては真摯に構え、例えそれが荒唐無稽な指摘であったとて、一度その言に照らして自分を振り返ってみる位の謙虚さを持つ事が大切。こういう人間でありたいものだ、というのをつい昨日寝る前に思いました。



ん?勿論、あのサイトの件に当てこすってますが何か?