それは読み手の勝手でしょ

【ヨン様、表参道でケーキ「うまいです!」】

完全に、話題に置いてけぼりになってしまってるきらいのある記事について。割と前(半年くらい…?)から「韓国発の泣けるドラマがある!」と話題になってたのってコレの事でしたっけね?しかしまぁ、ケーキ食っただけでニュースになったり、マスコミにこぞって『様』呼ばわりされるのはこの人と眞子様くらいじゃなかろうか。ケーキくらい喰うだろ、普通に。

生まれつき、こういう「泣ける」系のドラマは食わず嫌いな所がありまして。というか、感動を覚える視点が必ずといって良いほど人とはズレてるもんですから、そーいう映画をオネェチャン方と見に行こうもんならもう必死です。後で感想聞かれても口ごもっちゃうので、どの辺で泣いてるのか−ってしきりに横顔をチェックしたりなんかして。それで逆に相手に『なんだぁ、やっぱりアタシに気があるんジャン♪』なんて勘違いされたりする事しきり。阿呆め。目標(?)達成後の明日には、メールアドレス変えてトンズラよΨ(`∀´)Ψケケケ。

鬼畜話はおいといて。でもまぁ、マスコミは一線横並びで褒め称えて『(・∀・)イイネ!!』のラッシュなワケですが、一般にはどうなんだろう?マスコミが取り上げているから人気がある…では、本来は本末転倒なような気がします。人気があってマスコミが取り上げるのが本来の形なのだろう、と。考えてみりゃぁ当たり前なんですがね、実生活に当て嵌めてみると、意外にその公式って既に旧時代のモノなんだなぁと気付かされます。

『この曲、よく聞くよね』
『誰の歌だっけ?』
『あの俳優さん、最近露出多いよね?』

と、口の端に登るにはまず、メディアの露出ありきなのが現状。見ない事には話題に上がらないのは至極当然な話なんですが…それにしても逆のパターンの少なさに愕然とするばかり。

マスコミ露出が多ければ『それだけ世間に受け入れられているからこその露出』という錯覚を、何の疑いもなく抱いては無いでしょうか?って思うワケです。テレビと言うのは常に正しいモノを放映していて、それは常に民衆の総意を汲んだモノを提供している、という幻想はかなり前からあったと思いますが、最近はその幻想と現実の乖離が甚だ大きくなってると思っちゃいます。マスコミはマスコミ主導で、自分サイドの都合の良いメディアを旬な内に取り上げる。で、取り上げた所までで今度は別の新しいトピック探しに奔走する。実はコレが最近のメディアのスタンダードだったりします。何だかなぁ…

こういう話をすると、幼少時代によく掻き抱いた妄念を思い出します。
あの壁の向こうは、さっき覗いた時には草むらが広がっていたけども『今』、覗いても草むらなんだろうか。ひょっとしたらもっと別の何か、であるかも知れない。
『今』、気まぐれに後ろを振り返ったら、さっき見た景色が本当に広がってるんだろうか。じゃぁ、見えているって何だろう?見えているモノは真実?それとも見えているモノだけが真実?真実って何?…と云うループな思想。
勿論、科学的な解説としては、見えるという事は可視光線が物体に当たって乱反射したモノを視覚が捉えて脳の内部で画像処理を施し、その時の右脳と左脳の働きが云々…ってのは理屈として分かるんですが、果たしてその理屈が真理であるって云う事は、日常生活を送っている上では全く問題ない。寧ろ意識するだけ無用であろう…と。しかし、見えているからといって、それが全てでは無い。見えていないから、存在しないのではない。見ようとしないと、感じる事すら事って意外に多いモンなんです。

目に触れる機会が多いから優秀である。コレは矢っ張り幻想です。よく見てみましょうよ、もう一度。
先入観は目を曇らせる。
過去の経験は目を塞ぐ。
じっくりと、真実を見極める為に、今一度。
アナタには何が見えるでしょうか?







ワシには女のケツが見えます。