記憶の片隅

http://www.asahi.com/national/update/0310/012.html

今から遡る事7年前の事件、となれば既に記憶の外にある方も少なからずいらっしゃるであろう。その更正期間が長いか否かの詮議はさておき、渦中の男性が以降の生活で『完全・完璧』を求められるであろう事は想像に難くない。常に事件の影を背負い生きていく事を運命づけられた人生、死ぬまで外せない十\字架に掛けられたスケープゴートとも言える人生。ワシならばいっそ、更正などぬるい事をせずに命を奪ってくれた方が良かった、と思ってしまえるほどの苛烈な時間が、彼を待つ事になる。

願わくば、この事件を通じて得た教訓じみたものを少しでも多く、いまの生活に反映されんことを祈るばかりである。残念ながらマスコミは、その教訓をいささかも汲み取る事をせずに情報をひたすら垂れ流したまま今日を迎えている。あえて言おう、カスであると。
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ぶっちゃけワシが監督省の人間なら、マスコミにリークする日よりも2ヶ月ほど早く退院させて、無用なトラブルが起こらない配慮を敷くんですが…実際の所はどうなんですかねぇ。一説によるととうの昔に退院して岐阜の各務原に潜伏してるとか。具体的な地名が出るだけで何となくソースに信憑性を感じ取ってしまうのは、まだまだワシが未熟なのを示すバロメータなんでしょうが(笑)。


如何せん、こういった話題には揣摩憶測が常に先行してしまうので、何が正しいのかは読み手の理解力・解釈に委ねる格好になるワケで。情報高速化、とはよくいったもの。つまりはネタになる情報は取捨選択せずに配信して、どう受け取るかは勝手にして、と。PL法でギュウギュウ言わされてるメーカー勤務の人間が聞いたら、腹抱えて笑える話ですな(ワシを含めて)。

理解、という一線は非常に区分が難しい。自分が正しいと思う事を他人が正しいと思ってるかなんてのは、全く基準の無いところで話をしている点が多く共通点を見いだせない。ここから先は東シナ海でここからはベーリング海です。じゃぁこの波の先っぽは何海?みたいな。

だからこそ、日常の会話の中でその共通点を模索する。手探りで、火薬が詰まってるな…と思うところからは黙って手をすっこめる。なので、いきなり『俺の家にはこの部屋にテレビがあるから、お前ん家もそうだろう』的な物言いは普通は通用しないワケですよ。そこを『理解』していない人が、NET上でトラブルを起こすんですな。加えてその辺への配慮が欠けてるからトラブルになってるワケで「違うんですよ」といってもなかなか『理解』して貰えない。難しい所です。




実はワシが一番『理解』してなかったりして(爆)。