*[過去]過去ログ(10)

名前を付ける、って事は意外に重要なのです。唐突ですが。

以下箴言集の引用。

“ある国の密林に悪魔が棲んでいました。その悪魔は強靱な四肢と鋭い爪を持ち、時には地を揺るがすような雄叫びを上げ、その牙で人を喰らう事もしばしばでした。その国の人々は悪魔を大いに恐れました。やがて人々はその悪魔を『ライオン』と名付けました…”

という一節。日本人の感覚を表すのに非常に好例です。『ライオン』と聞いただけで、大抵の人はあのたてがみと鋭い牙を想像するでしょう。それは決して間違いでは有りませんが、その生態系や習性、生息地域にまで意識が及ぶ人は希です。況わんや、突然ライオンに襲われたときに、その名前を知っていたところで全くの無力であります。名前を知っているだけで、その存在に対して【分かった気に】なってしまう。ここ重要。

何が言いたいかというと、世の中にある不可解な出来事について、日本人は矢鱈滅多と名前を付けたがる傾向にある。大した検証も為さずに、です。ガンという病気に対して、我々はどれだけの知識があるか。実は医学の分野に於いても、何を持ってガンと呼ぶかの明確な基準めいたものは無いそうです。ガンという名称を使わなければ『多機能不全症候群』なんかのモウリョウじみた呼称を使わざるを得ない。
で、認知度の高いガンという言葉を使うけども、ガンと宣告された患者の諸症状は千差万別…という事態が起こり得るんですな。名前を付ける事によって、何一つ進展していないにも関わらず解決したような気になってしまう。かくも危険な事象に触れることなく、マスコミは今年も『流行語大賞』を垂れ流していく。小学生が事件プロファイリングのサイトを見て殺意を覚える事も、会った事もない人間から受けた殺人依頼を履行する事件も全て『ネット犯罪』と括るのならば、愚鈍なマスコミ諸君、ネットを封鎖してみたまえ。かつて“てんかん差別”問題で言論を封殺したみたいに、ね。