途切れながらも、ゴクシエントリを。

毎日読ませて頂いてるblog『歌う脳髄』さんのエントリの中で【理研、113番目の元素発見】の記事に触れた文章について、昨日ワシは思いを致してました。元記事はココ。

以下、『歌う脳髄』さんの文章引用。

「これがどうやったら社会に役立つのか」
という書き込みがあり、少し凹む。
そのツリー内で
>ファラデー(だっけ?)は
>「あなたの研究は、何の役に立つのか?」と聞かれて
>「では、あなたの息子が将来どんな役に立つのか?」と答えてます
>馬鹿息子を見守るように、見てもらえないかなと、希望します。

引用の後の文章はすごくいい。まぁ読め。
で、VODAFONE三国志の内部で有識者を集めての士気高揚・意識格上げの運動(と言うと大袈裟か)が持ち上がってるのを思い出した。
何とはなれ、所詮は携帯電話の1コンテンツでしかないモノが焦点なだけに、多少構えが大きすぎる感が否めない。しかも集める&集まるのは「分かってる人たち」だけであって、真に理解を求めたい人の層が同席してるワケじゃぁない。となると、そのムーヴメントに対して帰ってくる反応は冷ややかだ。「いい大人が集まって云々」「オタ?」etc…。

先ずは、このゲームの「面白さ」を敷衍させる所から始めなきゃならない。引用文中にある

「あなたの研究は、何の役に立つのか?」と聞かれて
「では、あなたの息子が将来どんな役に立つのか?」と答えてます
馬鹿息子を見守るように、見てもらえないかなと、希望します。

という文に繋がる。役に立たない事について、必至になって語り合ってる事の無駄をまず、知っておくべきでは無いのか。牽引者は、ある意味馬鹿になって面白おかしく騒ぎ立てなければならない。人を引きつけなければならない。引きつけた魅力でもって、今度は参加者に対して理想を語り続けなければならない。切々とね。
その理想を、キチンと飲み込んでくれるのかどうかについては、これはまた別の話だ。理解してくれるかも知れない。無駄になるかも知れない。
無駄、大いに結構。その無駄を楽しむ術を身につけなければ、無駄が無駄のままに費えてしまうだろう。
理想の押しつけは良くない。

「こうしなければ面白くない」
「こうする事が活性化に繋がる」
「こんな行為は非難されるべきだ」

んなものは仲間内のエゴでしかない。犬にでも喰わせておけばいいようなシロモノだ。そんな事を語るためにいい歳した大人が集まってチャットするんであれば、それこそが無駄なんだと思う次第。
netの世界を倫理と理屈で縛ろうなんて、烏滸がましい行いではないか。
大人が出来る事は、夢を語る事である。ガキに出来るのは、妄想を語る事でしかない。
虚構の世界に壮大な夢を作り出し、みんなに夢を分ける。
その下で、土建屋は夢に繋がる道を作る。
そして、建築屋が住戸を作る。
魚屋は魚を売ればよい。

みんなが気張って神にならなくても良いハズである。そういうコンセプトを持たないと、纏め上がらないんでは無いかと思う。お目汚しスマソ。

目を洗う方はコチラへどうぞ。CGだそうだがサムネイルでは全然そうとは思えない逸品。
http://www.this-wonderful-life.com/gallery.htm