電脳裁判官

【被告の量刑、コンピューター任せ 山東省で「電脳量刑」】

http://www.asahi.com/international/update/0908/003.html

> 電脳量刑を採用した裁判所は、山東省シ博市シ川区の同区人民法院(裁判所)。
>地元メディアの報道では、同裁判所は01〜03年に結審した1300件余りの刑事事件を盗みや汚職、強盗など犯罪別に11種類に分類。
>法律上の量刑や実際の判決などを統計的に処理し、量刑のモデルになるソフトを開発した。裁判官がコンピューター上で被告の犯罪状況や情状酌量などのデータを加えると、適切な量刑が決められるという。

ぶっちゃけ。過去の中国の歴史や思想体系には大きく敬意を払うワシですが、サッカーの一連の事も含めて今の中国は馬鹿じゃねぇの?という思いを禁じ得ないワシが居ます。
陋巷に在り(著:酒見賢一)』を読んでいるせいか、儒学の教えってのはやっぱり素敵な考え方であると思うんですよ。あと墨家思想とか。他にも孟子荘子やらの立派な思想体系を背骨に持ってる民族が、どうしてこんな馬鹿国家に成り下がったのか。

人が人でいる為に、矛盾と欺瞞を常に孕みながらも人が人を裁く。
確かに、ご立派と胸を張れる仕組みでは無いと思いますよ。しかし、法律を齧った事のある人ならば、条文の一文字一文字に裏打ちされた産みの苦しみや韜晦を知っている。人間の行動を全てきまりごとで縛る事は決してたやすい事ではなく、全ての規約を文章で網羅する事は不可能。大時代的に言えば、それを踏まえてなお、あるべき姿を模索して間違いを繰り返し、そして糺していく姿こそが美しい。そういった精神を踏んづけて、司法を統計学の領域に貶めて

>「公平性が保証された」と胸を張る

と言い張るコイツらは民度が低いとみなされて然るべきだと思う。偉大なる過去の蓄積に対して近代文明のエッセンスを加えるという意味合いでは、DNAを解析して生き物の本質を探る、はたまた生き物を創造する作業に近い−と見る向きもあるんでしょうがね。後者が、生命への飽くなき探求心に突き動かされているのに比べて、表題のアレは単なる処理ですよ。根本から違う。そういう発想を持つ事自体、何か大きくそれてる気がするのはワシだけでしょうか。





昨日のエントリで紹介した『…に負けてブs(ry』の過去ログNO.3〜NO.4に掛けて、かつて界隈を賑わせた『幻女』そっくりなのを発見。非常に嫌な気分になった。以上これまで。