想い出と現実の狭間で揺れて…

ucchijou2004-05-28


前回言及した件について、ワシなんぞよりも詳細にレポされてる方が居らっしゃったので、柄にもなくトラックバックなどを打たせて頂いた。しかし、あのクソジジイの物言いはなんとかならんのか。アレは。粛正人事の処理とか余剰戦力のマネーロンダリング紛いなトレードを、近鉄側が今までどれほど甘んじて受けてやってると思ってやがる、老害

本来は近鉄側の今までの腰抜け外交政策を嗤うべき所なんでしょうが、このたびばかりはこのボケナスに矛先が向けられても良いんではないか。余計な事に首突っ込んで茶化すんなら、モンゴル力士の方をさっさと矯正しろ。あんなのが大手を振って『横綱でござい』ってやってんのを見るとむかっ腹が立つ……って何だかこれ、ワシの現状にケチ付けてるみたくも読めるなぁ(笑)。

しかし最近とみに思うのは、消えるモノへの憧憬を云々するよりも、消えるモノは消えるモノとしてのあるがままを素直に受け止める方が良いんでは無いか、という事。経営が実質上破綻してるにも拘わらず、潰さず潰せずの状況が許されるのは銀行と球団くらいのモンで。不必要、と市場から認知されたモノに対して、憧憬先行で無理繰り存在させるっつーのも何だかなぁと思うんですよ。

勿論、往年の近鉄野武士野球に痺れていた身分に取って、例えその頃の再現なんぞは所詮絵空事である…と言うのは頭では解っているつもりなんだけどもやはり、在れば在ったで期待してしまう。その頃の思い出を、跡地すら残さずに消してしまう事はやはりやるせないんだけども、思い出を思い出の中にのみ求めて美化する事の醜悪さ、浅ましさってのは馬鹿馬鹿しいモンである。初恋はレモン味、ってのと同じでね。拘泥してると次に進めないんですよ、いつまで経っても。

ならばいっそスッパリ忘れて、新しい恋を始めた方が幾ばくか生産的ではある。

似而非に縋り、徒に幻を追い求める事の虚しさよ。
阪急、南海ファンも同じ想いを抱いてきたんでしょうなぁ……。



《追記》トラックバックが何故か失敗するので、リンク貼ります。スマソ。

http://www.2log.net/home/h5sho/archives/blog279.html