うん,この話題は面白い

【有料公衆トイレの運命は? 京都 優れ物だが、利用低迷】

糞をひり出す事すら金がかかる時代と嘆くべきか、無料で済んでた時代が異常と見るべきか。どちらにせよ、「京都」という土地柄から発祥させるには少々荷が勝ちすぎたんじゃ無かろうか…とも。
京都には「古都」「雅」「古式ゆかしき」といったイメージの裏面として「保守」「排他」というイメージも常につきまとう土地柄である。あんまし京都出身者には申\し訳ない気もするが、このフレームを通して見ると結構当て嵌まる場合が多い。その人の真実が伺えてしまう部分があって、場合によっちゃぁ危険かも知れない。
「東男に京女」とは昔の言葉だが、京都の女性はイイ女が多いのには違いないが間違いなく金がかかる。大阪みたくたこ焼きでは誤魔化せない。

話題が逸れるのは、いつもこの手の方向なので自戒。


で、本題。

>市の調査では、女性利用者を中心に好意的な意見が多かったというが
>トイレ近辺で評判を聞くと
>「公衆トイレは行政サービス。無料が当然」(中京区・たばこ店経営の男性)
>「1回使ったが、内部が狭く圧迫感があった」(北区・主婦)

などとボロクソである。出すモノがクソであるにしても(しつこい)、これはあんまりじゃ無かろうか。

ビジネスチャンスを掴む金言集などにはよく、『ニッチをサッチすればリッチになる』などというものがある。すなわち、日常の隙間(ニッチ)をいち早く掴む(察知)すると、ウハウハ(リッチ)である。とこういう意味らしい。そう云うのに首を突っ込んでニッチもサッチも行かなくなった人を何人かしってるが、ただその挑戦は貴重であると思いたい。

コロンブスは稀代の大うつけであったろうか。
ガリレオの「それでも地球は回っている」という言葉は世迷い事であったか。

そういう、未知の領域に向かう努力にたいしてはワシは拍手を惜しみません。それの背後に累々と積みあげられた屍の無念を、彼らが背負っているのを知っているから。しかしそうして人はまた一歩、神に近づいたと慢心していくのである。

高尚な話になってしまったが、元は糞尿処理場の話であった。

実際、こういう誰もが馬鹿にするような試みではあるが、ひょっとしたら奇特なスポンサーが付いてチラシを読めばトイレットペーパー無料とか、便座が温まるなどのオプション機能への期待などアイデアは膨らむ一方である。

>日本トイレ協会(東京都港区)の上幸雄理事長は
>「公衆トイレ有料化は望ましい」と断言し、こう指摘する。
>「水、空気、トイレは無料という時代は終わった。快適なトイレを維持するため、利用者に一部負担を求めるのは時代の趨勢ではないか」

日本トイレ協会は、普段は何をしてメシを喰ってるのかが非常に気になる!と言う点を持って今回のまとめにしたい。
トイレ協会だけに、喰ってるのはうんKうわなにをするやめ

(オチは相変わらずのグダグダで。