馴れ合いの話。

つか大分前に『歌う脳髄』さんのトコにトラバ飛ばしたりして弄ったネタですが、某所・赤い彗星掲示板にて或る方から
『顔が見えないから馴れ合うのでは?』
という様な視点を頂いた。
んでもって、そのご意見を絡めるとどんなもんかねぇとここ2日ぐらいでアッチコッチのサイトを流し読みしたりして、今一度考察してエントリを上げてみました、全裸で。
ちょっと引用するに面白い話を見つけてきた。

ゲーセンに行って9ボタンゲーをしようと両替を済ませて並んでいた午後11時。
いくら時間が経っても前の人には終わる気配が無い。よくよく見てみると連コイン…。
後ろに人がいるんだから連コインやめてくれよーと思いつつも我慢。
2回目(私が見る限り)の連コインの時に「人がいるか確認して下さい」と声を掛けてみた。
そいつの外見はテンプレ通りのヴァーな奴だったけど向こうは凄い勢いで反論してきた。
「私の終電は12時なのでその時間まではやらせてもらいます」
「地元に9ボタンゲー無いんです。ですから恨むならそちらを」
「私には時間が無いんです。何故ならばそれは私の親が朝帰りは許さない(ry」
「私の親は厳しいので自由になる時間は有意義に過ごさせて下さい」
等を凄い早口でまくし立てる。しかも「私」は「わたくし」だった。
親の都合とか地元に無いとかこっちには知ったこっちゃねーよ!と思ったんで私が連コインイクナイと言おうとした時、後ろにいたヤマンバっぽいギャルがキレた。
ギャル「あんたってもうハタチ越えてんじゃないのー?」
厨「私は今年で24ですが?貴方達とは違って大人ですよ」
ギャル1「ってゆーかー、そんな『オトナ』がー、『コドモ』みたいに親がどーのとか言うの恥ずかしくねー?w」
ギャル2「大人なら大人なりに自分の時間の管理くらいしろってのw」
厨「貴方達とは違って親孝行なんです、だから終電には(ry」
ギャル1「親孝行するってんなら今すぐ帰れって感じ」
ギャル2「あたしらだってクラブで同じ場所で踊りたい奴いたら順番でやるよねー」
ギャル1「だよねーwこういう大人にはなりたくないよねーw」
厨「貴方達とは違ってふしだらな趣味は無い!!」(眼鏡いじりながら)
ギャル1「ふしだら言う前に自分の体重と時間の管理すら出来ねー大人は黙ってろよ」
ギャル2「言いすぎじゃねー?w可哀想じゃねー?w」
と、こんな感じでギャルにゲラゲラ笑われて厨は泣きながら退散。
かなり慌てたのか厨は鞄を置いていったけど、それをすぐにギャルが見つけて
「あいつまじで慌てすぎじゃんw鞄忘れてってるw」と言って
急いで鞄を持って追いかけて行った所を見たら日本はまだ大丈夫だと思った。

鞄持って追いかけた辺りは本題に関係無くて。まぁ何となくほのぼのして下さい。

んで、何でこのヲタ君は辱められなければならなかったか。
もう一つ。
この話を読んで一般的に『おかしい』と思われるのはギャルか、ヲタ君か。

前者の設問については

  • 多分に独り善がりな主義信条の元に行動している
  • 周囲の意見に耳を傾けず、客観的な判断基準が盛り込まれていない
  • 『客待ちがある場合の連コインはタブーである』という周囲の良識(もしくはローカルルールか)を完全に無視している

の3点か、思いつくのは。

後者の設問においては、初期小泉政権もビックリの支持率でギャルなんでしょうな。


ここに『ez三国志界隈で、馴れ合いは何故嫌われるのか?』という問いを被せて考えてみる。
勿論、比較対象は以前から叩いている『でふまふ』野郎と愉快な仲間たち。

・独り善がりな主義信条の元に行動している
 →連む事に疑念を抱かず、周囲の嫌悪をよそにその活動を更に美徳化する向きもある。
 →自分の掲示板であろうが他人の掲示板であろうが、所構わず『でふまふ語』を用いて話す。他者もこの言葉に不快感を抱くどころか好意的に受け止めてくれている筈だ、という独善的な解釈に基づく振る舞いであると言えなくも無い。
 →真面目な話でも『でふまふ語』を使う、という部分に於いては『対相手への読みやすさ、理解しやすさ』への努力を一切拒否した態度ではないか。これも『好意を抱かれているであろう』という勝手な解釈がこびりついているからとこそ出来る振る舞いと予測できる。
・周囲の意見に耳を傾けず、客観的な判断基準が盛り込まれていない
 →『時空の権威者』という立場に持ち上げられている以上、その話し方を無意識に第三者に強要しているという側面に気づけていない。もう少し言えば『でふまふ語』を使わないとそのコミュニティの輪に入りがたい感覚を抱かせているのは疑いの余地がない。そこを踏み越えて、または『でふまふ語最高♪』という素養を持った者しかコミュニティにとけ込む事が出来にくくなってしまっている。要は空気読め、と。
・『客待ちがある場合の連コインはタブーである』という周囲の良識(もしくはローカルルールか)を完全に無視している
 →先の内容と重複するが、重要な部分だと判断するので敢えて重ねる。連むことによって自軍の戦力強化は図れるし、軍団掲示板は気の置けない仲間でいっぱいなので当人同士は愉しい。しかしそれ以外のプレイヤーから見てどうか?という部分、彼らは如何に考えているのか。『もともと連むゲームです』『他も連めばいーじゃん』というのは過去に散々し尽くされた話題で、それらがいかに次元の低いオピニオンであるかは論を待たない。


と。連む=オタの仕業、という解釈は曲解なのだけども、本質的には嫌われる要素を孕んだ行為である、という認識は持つ必要があるかも知れない。
嫌われる要素を内包するから、例え連む意思が無くて集まった陣営でも拒絶反応は出易い。それを『ひがみ、やっかみ』の言葉で片付けるのは些か乱暴なんだろう。
李下に冠を正さず。気を付ければ軋轢は回避できるはず。


では、客観視すれば嫌悪の対象になり兼ねない連む、という行為に対して疑念を抱けない理由とは何か。
オンラインでは顔が見えない、という点は実はここに大きく寄与している。

言葉の持つ『説得力』は字面だけに因るモノではない。語り口調、抑揚、表情、権威、身振りなどの様々な視覚的要員によって効果が異なる。
同じ内容の事を言われても納得できる人、できない人がいるのがそれ。
しかしオンラインではそれらが一切廃されて文字の応酬でしか無くなる。辛うじて顔文字が感情の起伏を示す為の少ない手段の一つであるけども、あくまで補意的なもので主体を担うまでには届かない。


あんまりごちゃごちゃ書くとキリが無いので端的に。オンラインでは相手を理解する材料が文字しかなく、それはリアルに比べれば実に貧相な情報量ではあるのだけれども、そこで得た理解をリアルのそれに置き換える事によりいかにも対象となる人を『理解したつもり』になりがちである、と。そこへ至るまでの情報量が極小にも関わらず、である。ここに『ツルみ』を産み出す盲信的な仲間意識が育つ土壌がある。


オフ会を催し、相互の理解を深めよ、などと陳腐な意見を言うつもりは無い。あれは行きたい人同士でやれば良いモノである。
大切なのは『考える』ことである。オンラインは五感の遮絶された環境である。何が正しく、何が誤りなのかを探し当てるのは非常に難しい事ではあるのだけれどもハンドルネームの向こうに居るのは必ず、人である。例えハンドルを使い分けている人が居ようとも、画面の向こうに居る人は一人である。相互理解を諦めるのは早計だろう、とは思う。


今宵は此処まで。