緩んだ社会

http://rakudaj.seesaa.net/article/3130212.html
http://d.hatena.ne.jp/abcs650/20050503

以前、Web上で見つけて『なるほどなぁ』と考えさせられた案件なんですが、例によって『歌う脳髄』さんの所で先を越されてたコトもあり手を着け兼ねていた話題。
正論と詭弁、分けて考えると無用な混乱を招かずに済むのになぁ…とか愚痴に正論たぁこの若い衆も無粋だねぇ、と思った程度。これが結論だ!というものをビシィッm9( ゜д゜)と決めるのは非常に有効な論議の叩き台だと思うんですが、いかんせん波及域の広さにちょっと追いつかない。
で、ワシ個人的に思うんですが『それを言っちゃぁお終めぇよ』だと。

  • 席を譲る事の勝ち得ている常識度
  • 愚痴混じりに謙譲の精神を引出させる、というような物言いは如何なものか
  • 常識・道徳に対して正論で立ち向かうとは身も蓋も無い

以上三つの視点。
いやまぁ、納得が行かんのは重々解るんだけどほら、ソレはそういうモンだから。という日本的な曖昧さに、アメリカナイズされた正論・本音が突進してきたようなモンで、こりゃぁまぁ喧嘩にならんだろうと。土俵が違いすぎる。

しかし。そういう光景を目の当たりにして逆に怯んでしまう人が多いのに、逆に驚いた次第。アナベルト・ガトーじゃないが『あのような禍々しい物言いを若者に許すとは!!』って話じゃ無いのかねぇ。だってココ、日本だし。

『そういう日本的な奥ゆかしさを美徳、と考える世の中がここまで世間を堕落させた事になぜ気づかない!?』と目くじら立てるんなら、そこかしこに転がってる和の遺産を、片っ端から踏み潰して回ればどうかね。キリがなかろう?
但しid:abcs650さんも仰っているが愚痴に正論で立ち向かうような洒落っ気の欠片も無い田舎者は、必ず自らもそういう目に遭う。因果は巡る小車の*1…とね。

で、表題の件。
先の尼崎列車事故で、遺族の方の言葉が心に染みた。
『この事故は誰かを責めるようなものではない。(報道陣を指して)あなた方が作り出した、緩んだ社会に責任がある。これは私も含めてなのかも知れませんが。』
と。
社会の緩みが、若者に禍々しい物言いを許す。
社会の緩みが、老人は敬意を払う対象では無いと教えている。
社会の緩みが、我々から『絶対』という言葉を奪い去ってしまった。

そう思う。
因みに、この発言のソースを探そうとニュース検索を掛けてみたが一向に引っ掛かりませんでしたので、上記発言を引用なさってたblogにトラバ打ちました。
マスコミ諸氏には耳の痛い話だったのか、それとも単にうっかり記し忘れているのか。だったらあんたらもJRも同じ穴の狢じゃねぇの?と黒い事を思った次第。


今宵は此処まで。