ネット上での邪気と無邪気

2/11付のコメント欄で、相手を思い遣らないコメントなりがwebを殺伐とさせて行く、というコメントを頂戴して少々考えました。果たして人はそのコメントの中に邪気ありや?をいかにして選別出来るんだろうか。
先ずはこちらのサイトをご覧下さい。
寝屋川市の小学校乱入事件を「祝う」サイトをまとめてみる

教職員3人殺傷の17歳、引きこもりTVゲーム
大阪府寝屋川市初町の市立中央小学校で14日、卒業生の17歳の少年が教職員を刃物で襲い、3人が死傷した事件

この悲しい事件を「祝う」サイトが?

●●(伏字)小学校 寝屋川市立中央小学校 ●●(伏字)小学校のガキどもを必ず●●(伏字)する!

寝屋川市立中央小学校●●(伏字)達成!

などという文章が掲載されていたため犯人ではないかと話題になる。
しかし、2ちゃんねるで話題になった直後に、

●●(伏字)先生●●(伏字)んでよかったね!男は有言実行!

という一節を追加した。
トップには猫の腹部を切り裂いた残忍な画像も掲載されている。
(後略)

引用元:ヤマイモ木から生えてくる観察ブログ

関連コメント。

656 名前:Dutch Dreamer [********@yahoo.co.jp] 投稿日:05/02/14(月) 16:34:29 ID:2MkSCcT9
同志よ!遂にやってくれたか。
あいつならやるとは思ってたよ。
でも、子供を刺してないのは評価できないな。
この事件の犯人が今日犯行に及ぶのは知ってた。
俺のサイトの常連だったからな。
こういう事件はこれから増えるぞ。
確実に増える。仲間がいっぱいいるからな。
お前らもその気があるならサイトに来い。

******.tripod.com/

注)伏せ字は尉遅皇の判断で挿入

サイトの後半に一部、真相らしき書き込みがあった旨が記されているもののあくまでも伝聞形式であり、信憑性には欠けると思いますのでここでは敢えて引用しません。ただ、その通りであれば得心はいきますが。

で、本題。
果たして、このサイトがあくまでネタとして「他人を嫌な気持ちにさせてやる」という意図で作られたものなのか「誰にも打ち明けられないが、匿名なら言える心情の吐露」なのか、はたまた「カッコイイからこんな事言ってみたかった」的なノリで設立されたのかは、本人しか知らない。ともすれば、初期の目的とサイトの方向性が乖離を続けた集積なのかも知れない。漫画家の言う「キャラが一人歩き」に例えられるかも知れない。

また、こんな話もある。

光は1秒間に地球を7周半する。
音だってそれに劣らず早い。
しかし、どちらも同時では無い。
かならず放たれた瞬間と到着の瞬間にはラグタイムが生じる。

声は、空気を振動させて相手の元へ届く。
姿は、微細な凹凸に乱反射した光の集積である。

言葉は、放たれた瞬間の意味を既に失っているのかもしれない。
姿は、目に映った瞬間には既に変化しているのかも知れない。

だから、恋人同士は抱き合うのだ。
そうして、お互いの距離を縮める必要がある。

確か中島らものショートエッセイの中にあった語句ですが、手元に資料が無い為脳内引用。こんな感じの内容だったと思います。あのアル中・ブロン中毒でヒッピーなオヤジの脳中に、なぜこんな言葉が明滅するのか不思議でたまらんのですが、さておき。


日常生活でそれこそ面と向かって身振り手振りを交えて話をしても、誤解を招く事はさほど珍しい出来事ではない。しかもweb上では文字の羅列で表現するしかない。その表現力には圧倒的な差がある、曙とヴァンダレイ・シウバぐらいに。喜びを表すフェイスマークを、相手がモニターの向こうで笑顔を浮かべながら打ち込んでいるかといえば、そうではないだろう。相手の気持ちを汲んでレスを打つ。理想ではあるが、それが実行出来ていると称するならばそれは大きな勘違いか、若しくはエゴであると言い切れる。

が、しかし。
不可能であるからと言って相手の気持ちを汲む事を放棄するのは、更に一段上のエゴである。自分にはこの人がどのような心理状態にあるか予測もつかないが、レスを打てば必ず返事があるだろう。管理人なのだから!…というのは閲覧者の傲慢以外の何物でもない。然るに、相手の気持ちを汲む事をweb上でも実行している人は完全なるマイノリティーである、とは思う。ワシがそういったサイトしか覗いていない、と言われればそれまでかも知れませんがね。




先に述べた邪気・無邪気の判別を含めて、ネット上で理解を深める為にはそれこそ何万文字というLOGの応酬しかあり得ない。それでも、相手の本質の2割程度が掴めれば上出来であるようにも思う。web上の人格はリアルの人格の分身ではあるが本質では無いのだし、また10割の本質を掴む必要も全く無いように思う。全ての判断基準と真理は、webの世界に於いては閲覧者本人の中にしか無い。そこでいかなる真理が構築されるかは、閲覧者の資質に依る所も大きい。web上で掴んだ真理、それが「あなた」なのである。そう思う。




今宵は此処まで。